平成2549日(火)     会 報 ぶ ど う           通刊 第53

 

代表挨拶

会員の皆様、お元気でしょうか?

今冬はいつになく厳しい寒さを記録したかと思えば超スピードでやってきた春、桜の開花は記録的、ついていくのがやっとでした。体調をくずされた方、一日も早い快復を祈っております。 我が家では介護中の母がA型インフルにかかり、つらい思いをさせてしまいました。予防注射をあなどり後悔しきりでした。最近は認知症が進行し、幻覚、夜中の家中の徘徊、奇怪行動、私を探しているようでした。夫がいるのですが、私が少しの時間でも家をあけると、具合が悪くなって入院しているのではとか、先日は私の夫が死んだと一人で大騒ぎ、弟がもうこの世にはいないのよね〜と、とにかく心配事をかってにつくり苦笑させられます。            

96歳、いまだにポータブルトイレを使い、用をすませています。「お母さんの年齢で自分でトイレへ行かれる人はそんなに居ないし、すごくえらいと思うよ〜」と褒められることには大いに気をよくします。

 

平成2543日、当会は設立20周年の節目を迎えました。港北区福祉保健センター、港北区社会福祉協議会、各地区のケアプラザの皆様のお力添えがあったればこその20年です。 

世話人一同心から感謝申し上げる次第です。

今年度の交流会は20周年記念と致しまして、61日(土)に港北区社会福祉協議会3階で、「介護の手を休めて楽しくおしゃべりしませんか」の会を開催いたします。

会員の皆様には別途、ご案内をお送りさせていただきます。

いよいよ当会のホームページが近日中に開設されます。

URL http://www.budounokai.com/  これで検索してください。

 

新年度の役割分担が決まりました。本年度もどうぞよろしくお願いいたします。

                                代表 石森 紘子

 

平成25年度世話人紹介

代表  石森 紘子

副代表   小形 晴身

書記  伊東 波津子   島田 加代

会計・記録 片山 久美子

会報  宮澤 よし子  伊東 波津子

会場予約  小島 瑞子 

ホームページ       悌一 

会計監査  梅原 由美子 関口 輝昭

(協力者)    会報校正 石森 朋光    会員登録  丸山 滋  

 

平成24年度港北区、認知症家族のための介護セミナーに参加して

平成25122日、高田地域ケアプラザで「認知症の理解と対応」と題して日吉病院の青山 洋先生のお話がありました。かいつまんでお知らせします。

 

認知症は早期発見、早期対応が大事

治る認知症もあり、早期に薬物療法することで進行を遅らせることができる。本人がその後の暮らしに備えるため、自分で判断し、家族と相談する時間を持てる。病気の進行に合わせたケアやサービスの利用をすることで進行を抑えたり、家族の介護負担を軽減したりできる。

 

認知症と気づくポイント

今日の年月日や曜日がわからない。今何時かわからない。少し前の事や12週間前話したことを覚えていない。同じことを何度も言い、会うたびに同じ内容の話をする。代名詞が多く、使い慣れた単語が出て来ない。話の脈絡が無い。質問と違うことを答える。家族が同席すると聞かれるたびに家族の方を見て、取り繕おうとする。

 

認知症の危険因子

高血圧症、糖尿病、脂質異常症、心房細動、喫煙、過度の飲酒などです。

 

認知症の治療

・薬物療法、より良い介護環境、適切な介護・ケア、非薬物療法などバランスが大事。

・生活習慣病の予防は認知症の予防につながる。

・薬物療法としてはドネぺジル、ガランタミン、リバスチグミン、メマンチンが認可されているが生活環境や現在服用している薬との関係、身体疾患のチェックなど医師とよく相談してください。

 

 

認知症と上手に付き合う4大原則

1  常に笑顔で接すること

2  絶対に怒らないこと

3  絶対に急かさないこと

4  絶対に理屈で説明しないこと

 

この4大原則は、あくまで原則です。これができたら苦労はないのですが…。でも、早期発見、早期対応は本当に大事だと思いました。早く診てもらったことで認知症ではなく、薬や手術などにより治る病気のこともあります。あれっ?と思ったら認知症外来へ!

 

バリデーションとは?

認知症家族のための介護セミナー2回目が21日、同じく高田地域ケアプラザであり、「認知症の症状への理解と対応」と題する日本バリデーション協会のバリデーションプレゼンター武田みどり先生のお話でした。

 

バリデーションとは認知症の高齢者とコミュニケーションするための方法の1つです。介護者にとって、理解しにくい認知症の人の行動に対し混乱した状態を良くしようとするのではなく、介護者自身が変わり、相手の世界に入っていく事を目指します。同じ動作を一緒にしたり、口ずさんでいる歌を一緒に歌ったりすることで相手の本当の感情を吐き出してもらうきっかけとなります。認知症の人が泣いたり、腹を立てたりすることで自分の感情を吐き出すことにより、穏やかになります。

バリデーションは表情を合わせ、呼吸を合わせ、声の大きさやトーンも合わせ、体の一部に触れながら行うことにより、相手に共感します。共感することにより、この人なら分かってくれると思って、ほかの事も話し出します。人を責めたり、暴力をふるったりする理由がわかれば関わり方も変わってきます。

バリデーションをする時間は1110分程度です。長い時間だと、こっちが疲れます。

バリデーションをするには、まず介護者が休養する時間をしっかり取り、自分の気持ちを吐き出すことが必要です。「介護者のつどい」などで自分の本音を吐き出し、共感してもらうことをお勧めします。

 

 

私もやさしく介護したい。と思っても自分に余裕がないとあたってしまいます。

毎日、顔を突き合わせていると、それだけで煮詰まってしまいます。デイサービスやショートステイを上手に利用して、自分の心をリセットされることをお勧めします。先の見えない、なが〜いトンネルです。息を抜いて、手を抜いて!

(伊東 波津子)

高田地域ケアプラザ介護者のつどいから

3月の高田の介護者のつどいは施設見学でした。

訪問先は新吉田町にある支え合いの家です。参加者は介護者7名と高田ケアプラザから2名でした。

本入所とショートステイから成り、全個室のユニット型の施設です。ガラス張りの通路も広く、日当たりが良く、長い手すりが付いていました。南向きの部屋で、景色が良く、春には桜が見えるそうです。

一階のロビーには、リハビリのできる器具が揃っていて、その奥にはシアタールームがあり、映画鑑賞や、カラオケも楽しめるそうです。

見学参加者も、「まずはショートステイに入れて様子をみたい」「ユニット型なのでプライバシーが守られる」「明るく、日当たりが良く、気持ちがいい」と話していました。

暖かくなってきました。つどいでおしゃべりしませんか。

高田地域ケアプラザ 第2木曜日 午後130分〜午後3時   8月はお休みです)

                                  (島田 加代) 

下田地域ケアプラザ介護者のつどいから

この間の介護者のつどいでは、いつもと違ったお話が聞けました。介護の関わり方、接し方、そんなお話で、デイサービスに来ているほとんどの方はいつも笑顔で穏やかに1日過ごしています。デイサービス利用の皆さんもそれなりに大人の対応をしているように感じます。ご自宅と違うことで「我慢」していることもあると思いますが、それでも利用者さんどうしお互いのことを気にしているようです。

私も介護が始まってそろそろ7年目になろうとしていますが、気が付けば、デイサービスでの姑の顔は連絡ノートでしか知らず、笑顔で穏やかにしていることは想像できましたが、それなりに我慢していることもきっとあるだろうなと思うと自宅にいる時ぐらいはもう少しやさしく対応するよう心がけようかと思いました。

また、今後、若い人達にも勉強して接してもらい、介護とはこういうものだと知ってもらいたいですし、それが必要な時が来るでしょう。

現在、近くの中学生や小学生の職業体験等として、デイサービスに勉強に来てくれることがあったり、下田小学校の皆さんは、クラス単位でボランティアに来てくれることもあったりするそうです。少しは明るい未来が見えているのでしょうか。

これからも安心してデイサービスにお世話になれることを幸せに思います。

下田地域ケアプラザ 第3木曜日 午後130分〜午後3時   8月はお休みです)

(片山 久美子)

 

 

 

 

 

 

 

 

老々介護

介護者支援「老々介護」の今を考えるとき…

「ぶどうの会」を追いかけて、「ほっと青葉」の活動も12年になります。

高齢者二人暮らしなどの老々介護や、介護が必要になった方との急な同居など、介護者が一人では解決できない問題が増えていることを踏まえて、月一回の定例会(交流会・勉強会)や年4回発行の会報などで情報発信をしてきました。介護保険制度もスタートして「ぶどうの会」が設立された状況とは大きく違い、介護者の求める情報にも違いがあったと思います。

そして、定例会に参加される介護者の顔ぶれも、設立当時から今も来られる方、介護を卒業し来られなくなった方、介護がはじまって来られる方などさまざまですが、大きな変化は、男性介護者が増えたことと、年齢層が高くなったことです。はじめのころは、50代後半から60代前半の女性が中心で、その中に60代後半から70代前半の男女が数人だったのが、60代後半から70代前半の男女が中心で、50代後半から60代前半の女性と80代の男性が数人といった感じになっています。

最初は、はじまった制度について知りたい、でもどこに行けばよいのかわからない、だから比較的若い介護者と意欲的な年配の介護者など、行動可能な介護者の参加が多かったのではないでしょうか。最近は制度については定着しつつあり、窓口も身近にできたりして(地域包括支援センター)、「介護者のつどい」も各ケアプラザで開催され、インターネットで検索すれば情報は豊富に入手できるなど、介護者を取りまく環境が随分変わりました。若い介護者は、情報の入手の仕方が分かれば、自分で必要な情報を選択し行動できる方が多いでしょう。年配の介護者は、若い介護者ほど上手に情報を入手できなかったりして、また豊富過ぎる情報から自分に必要な情報を選択し行動することは、体力的にも精神的にも苦手なのではないでしょうか?だから、人から聞くのが一番の手段で、年齢層が高くなったように感じます。

介護生活で介護者が直面する悩みやストレスは、今も昔も、年齢に関係なく変わることはないと思います。「認知症の方と家族の気持ちを深く知るためのアンケート」調査結果からも、介護者の年齢は50代が最も多く、次いで60代、70代。介護年数は年齢に関係なく15年が多く、次いで1年未満、610年。性別は約73で女性が多い。対象者は配偶者が多く、次いで実母。場所は自宅が多く、次いで施設、病院。相談先はケアマネジャーが最も多く、次いで家族、医師。介護を続けるために必要な支援として、介護者の休息ができる介護サービス、介護方法や悩みについて相談できる相手、介護を代替えする人の存在や入所施設。介護者の安心感は主治医の存在、介護サービス利用。10年前に、ほっと青葉の会員約200名を対象に行ったアンケート結果と変わりはあまり感じられません。しいて挙げるなら、相談先が家族よりケアマネジャーが多くなったことでしょうか。

しかし、国勢調査(2010)の結果からは、横浜市の人口ピークは2019(港北区2035年・青葉区2025)で、高齢化率25.0(港北区25.2%・青葉区23.3)、その後の人口減少は穏やかだが、2060年には高齢化率が35.3(港北区34.2%・青葉区34.5)に上昇。世帯数のピークは2030年で、単独世帯・夫婦のみ世帯が増加し、夫婦子供世帯は減少。また、日本の市区町村別将来推計人口(国立社会保障・人口問題研究所2008)によると、20052035年の30年間で65歳以上が最も増加するのは、横浜市と指摘していて、61万人から114万人と推定され、高齢化率はおよそ30.8%となり、近い将来3人に1人が高齢者となる勘定だそうです。そして、国民生活基礎調査(厚生労働省2011)では、75歳以上の要介護者がいる世帯のうち、75歳以上の家族が主に介護している世帯が25.5%、団塊世代が60歳代に達し、60歳代同士の老々介護世帯も62.7%と過去最高に、65歳以上同士は45.9%、2012年には65歳に達成し、老々介護世帯の割合はさらに増加するだろうと言っています。

これらが物語っていることとは、何でしょうか?

体力の衰えた高齢の介護者は、肉体的負担から新たな病気を誘発し、他人を家に入れたくない・家族介護で何とかやっていける・利用者負担が払えないなどの理由から、居宅サービ

スを利用しないことでストレスも大きくなり、介護疲れの末の介護者死亡による孤立死、さらに認々(認知症の人が認知症の人を看る)介護など、さまざまな問題が表面化しつつあるということでしょうか。

2月の定例会で、医療・介護とも在宅を基本とする政策(地域包括ケアシステム)の青葉区の現状を高齢・障害支援課の係長にお伺いしたところ、構築には1020年かかるとのことでした。それを聞いた80代前半の介護者が「介護者にとって心強い政策だけど、生きているうちには無理なんだなぁ」と落胆された姿に、“老々介護”の現実に気がつかされた思いでした。

直接的な支援はできないかもしれない、でも間接的な支援なら、定例会や会報で少しでも今“ほっと”できる“ほっと”な心(情報)を届け続けたいと思います。これは、ぶどうの会の世話人の方々の想いでもあると思います。

(青葉区 介護者サポート「ほっと青葉」 梅原 由美子)

救急車の思い出

義父も義母も元気な時だった。認知症になる前の、ばりばりしっかりしている時だった。下で寝ていた義父が真夜中、2階の私たちの寝室を開けてこう言った。「おふくろが死んだ」

地震だろうがなんだろうが、びくとも起きない私でも、さすがにとび起きた。

夫と駆け下りて行くと、お義母さんが口からあわをふき、意識不明。おしっこもしている。

昔のことで、舌をかまないように口に何かをはさむといいと聞いていた私は、そこらにあった物を口に押し込んだ。(今の時代は、医学的に言って、その必要は、無いようだ。)お義母さんのそばでお義父さんや夫がぼうぜんと立っている。私は、すぐに救急車を呼び、電話口で聞かれたことに対してはっきりと答えた。そして、夫に救急車の迎えのために道に立つように言い、義父には保険証やお薬手帳や財布を用意するように言った。この時は、救急車が段差のある所でガタンとした時、息を吹き返して助かった。(あとでわかったことだが、口に詰め込んだものは、義母が洗濯して畳んでいたパンツだった。)

1年後、また義母の心臓発作がおき、救急車のお世話になった。義父と一緒に集中治療室に行った時、看護士さんに「体重は何キロですか」と聞かれた義父は、自分の体重を答えた。

「お義父さん、お義母さんの体重を答えてください」と私。しっかり者の義父でもあわてるとこうなるんだなと思った。

そんなこんながありつつ、義母はその後、ペースメーカーを埋め込み、元気に復活し、認知症になったりしましたが、薬を飲みながらも亡くなるまで生きていました。

その後、家族がいつ、また、救急車のお世話になるかも知れないと思って、「救急車の呼び方」を調べ、電話の所に貼りました。そして、その後、義父が老化のため、足がもつれて転倒し、顔がパンダのようになり、肋骨を骨折し、救急車のお世話になることがありました。

今度は自分のもしもの時のために、家族に落ち着いて行動するように話し、「救急車の呼び方」に目を通してもらいました。以下にそれを記します。

(家の一般の固定電話の場合です)

救急車の呼び方

注:救急車の出動に必要なことを向こうが順番に聞いてくれるので、あわてずゆっくり答えること

@    局番なしの119

A    救急です

B    場所(来てもらう場所) 横浜市港北区○○○○・・・と、目印になる建物△△△

C    誰がどうした
(いつ、誰が、どこで、どのようにして、どうなったか)
(患者の性別、年齢)
救急車が着くまでの手当の方法を尋ねる

D    電話をかけている人の名前と電話番号(携帯ではなく、家の固定電話の方を伝えること)

E    保険証・財布・お薬手帳・簡単な着替え・帰り用の靴の準備

F    救急車の出迎え(救急車がわかりやすいように誘導に出ること。人手不足ならお隣に頼むこと)

G    患者の搬送路を確保すること(特に玄関を片付けてね)

 

救急車が着いたら

@    救急車が到着するまでの患者の容態(通報後の変化も)と行った応急手当の内容を伝える

A    持病について、病名を伝える。かかりつけの医院を伝える

 

というわけで、私は、家族が、慌ててわからなくなるかも知れないので、

*年齢(老けて見えるので、家族も本当の年齢がわからないかも知れないので)

*保険証、お薬手帳のある所

*財布 (あなたのお金で払って!無ければ、1万円をいつも電話の下のひき出しに入れておくからね)

*持病の病名 かかりつけの医院、医師名

を紙に大きく書いて「救急車の呼び方」の隣に貼っています。

 

なお、携帯でかける場合の注意は、以下の通りのようです。

@    最初に「携帯でかけています」と伝えること

A    ○○県△市・・・と県から言うこと(理由は、携帯電話からの場合、近隣の市の消防本部へつながってしまうこともあるのでなそうです)

B    途中で電話が切れてしまわないように、立ち止まって話す

C    通話終了後、消防署からの問い合わせがあるかもしれないので、電源は切らない

 

なんか、「思い出」から現在へと話がごちゃまぜになってしまいました。許してください。

救急車の呼び方なんて、すでにわかっているという方には、耳うるさい、いや、視力が損したと思われたでしょうことをお詫びいたします。

末筆になりましたが、皆様が救急車のお世話になりませんよう願っています。

(宮澤 よし子)

行ってきました。 きらり港北

住宅型有料老人ホーム きらり港北

ブルーライン「北新横浜駅」下車徒歩約10分、「新羽駅」下車徒歩約7分、新田緑道と鶴見川の間にあるきらり港北は、福祉クラブ生協の複合福祉施設です。

在宅支援を行ってきた福祉生協が、利用者のさまざまな声を聞き、安心して住み続けられる「もう一つの我が家」をテーマに建てた、住宅型有料老人ホームです。

きらりは「里に帰る=帰来里」「光輝く=キラリ」から名付けられました。

入居者が元気に生き生きと過ごしていけるように、家族としてサポートしていこうと、2012年にオープンしました。42の居室の他、デイサービスや子育ての保育室、食事サービスの厨房、福祉クラブ生協の事務所を併設しています。居室には、ご自身で日常生活が送れる方の自立タイプと、日常生活にサポートが必要な方の見守りタイプがあります。各部屋には、トイレ、洗面所、緊急コールの他、自立タイプにはミニキッチンも付いています。

居室を出ればゆったりとしたリビングがあり、入居者の交流の場となっており、1階の保育室の子供たちとのふれあいもあるそうです。

のんびりとリビングでくつろいでいた入居者さんの笑顔がすてきでした。

                                  (小形 晴身)

 

 

 

初めまして 世話人になりました

初めまして。関口 輝昭と申します。日吉の下田町2丁目に在住しています。

足かけ5年にわたって、家内の闘病生活をサポートするため、看護・介護を自宅で行ってきました。卵巣ガン(X期)から一時は回復したかに見えたのですが、肺に転移しまして残念無念にも一昨年秋、みまかりました。3年半は寝たきりの状態でした。

一周忌も無事すませ、ようやく自分の心も平常心に近い状態になり、(なっていると自己判断していますが)介護の時に皆様からご支援して頂きましたお返し(と、言っては失礼かと思いますが)の意味も含めて、自分の経験が、介護支援をなされている方を中心にお役に立つのであれば……と思い「介護を考えるぶどうの会」の活動に参加させてもらいました。

この場をお借りしまして、ご担当医師、看護士様はじめ、地域ケアプラザ、また、助けて頂きました方々に篤く御礼申し上げます。介護の「要」は、自分で目標管理しない事ですね。オヤーッと思われる方もおられましょうが、「これだけやったのだから……こうなるハズだ」とつい自分で勝手に思い込み、そうならないと、何故なんだ……と、男性はつい仕事の感覚でとらえてしまうと思います。自分に自らストレスを加えてしまうのですね。「あるがママに任せる」そしてぶどうの会なり何なりに参加して、他の人にそれとなく自分のことを聞いてもらうこと、これらが迷宮に迷い込まないヒケツだと思います。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

(関口 輝昭)

危ない看病、いけない介護

れは、もう看病とも介護とも言えないことだろう。むしろ、虐待とまでは行かないだろうが、世話をされる(がわ)の人にとっては、なんともはや、たいへんひどいことだったと思う。知らなかったこと、気づかなかったこととは言え、いけないことをしたなあとこの紙面をお借りして実父と義母や義父に謝りたい。

いなかの父が脳梗塞で倒れ、介護をしてくれていた義姉が、見舞いに行った私にこぼした。「おじいさん、なかなか薬を飲めないんだ。いっぱいあるしね」「なあに、そんなこと」と私は言った。若かったこともあり、「介護」の「か」の字も知らなかった私は、その日だけ病院に泊まり、父の世話を義姉と交代した時、大さじに薬を8個乗せていっぺんに口に入れた。

父は、「うおっほ!」とむせて薬を出した。年寄りは、呑み込みが悪くなっているなんて知らなかったのだ。

その日、父が病室で「明るすぎて寝られない。顔にタオルをかけてけろ」と言った。私は、(白いタオルで縁起が悪いな、でも、ま、いっか)と思って、白いタオルを四つ折りにたたんで顔に乗せた。「ぐ、ぐるじい!」と父は言った。おっちょこちょいの私は、タオルを分厚くして鼻と口をふさいでしまったのだ。それもよく見たら、「(しも)用」と書いてあったタオルで!介護は、本人の立場に立って考え、するべきと言います。自分が顔に分厚いタオルを乗せられたらどうなるとも考えず・・・いけないことをしました。

次に帰省した時のことだ。父が「ベッドを起こしてけろ」と言った。そのベッドは、手動式で、ハンドルがベッドの足の方の下にあった。私は、ハンドルを見ながら、くるくる回し続けた。父が「やめろ!」。私は、思った。(確かにこれ以上回したら、父がベッドでサンドウィッチになってしまう)介護される者から目を離さず、よく観察するべきだった。

(ちなみに、最近、ベッドの事故が報道されている。柵に腕をはさんでしまうとか、リモコンが身体の下になって思いがけない作動となり、事故につながるとか。要注意!)

かくして、おっちょこちょいで常識のない私は、義姉に「よっちに頼んだら、おじいさんが殺される、もう何もしなくていいよ(笑)」と宣告されたのだった。

 

義母の介護が始まった頃、車椅子の扱い方を知らずに、坂を下るとき、後ろ向きにならず、前向きのまま下った。通りがかりの親切な方が「まだ慣れていないのね。坂は後ろ向きに下がるのよ。前向きだと乗っている人はこわいわよ」と教えてくださった。(ありがたい!私もこのような人になろう、地域みんなでお年寄りを大切にするんだ!声をかけあうんだ!)と思ったものだ。そういえば、義母が乗った車椅子を約束の時間に遅れそうだったので歯医者さんまでぶっとばして走ったこともあった。本当にごめんなさい。恐ろしかったろうなあ。それからは、段差も声をかけながら静かに車椅子をあつかうことにした。

ある正月のこと。義母と義父(二人とも認知症)を囲んで、子供や孫やひ孫が集まって新年を祝っていた。義父は、餅が大好き。(去年の正月も餅を食べた。今年も大丈夫だろうと)餅を出した。しばらくすると、義父の様子が変。餅がのどにつっかえたのだ。誰も気づかなかったが、私は、右の目で義母を左の目で義父を見ていたので気づいた。(ちょっと自慢。本当は、私が餅を出したので、ちょっと心配で目を離さずにいたのだった)私は、義父を前かがみにさせて義父の背中を(この時とばかり!?)強く叩いた。(背中でだめならみぞおちを圧迫してみようか、掃除機で吸うのはだめだ、危ない!だめなら救急車か!?)などと考えながら思い切り叩いていたら、義父が「痛いよ!!!」とさけんだ。声が出たらもう大丈夫。私は、安心して喜んで、「死ぬよりいいでしょう!!(笑)」と自分が餅を出したのを謝りもせず、珍しく口ごたえをした。あとで、餅を小さくしなかったことを反省したのは言うまで

もない。この、餅ひっかけ事故ほど、命を預かっていることの重大さを感じたことはない。

 

今回、「危ない看病、いけない介護」で一番書きたかったことがある。

義父が一日中寝ている時間が多くなった時、つい、まだ、寝ているだろうとお使いから遅

く帰ることが何度かあった。義父は、何も言わなかったけれど、目を覚ました時、さびしかったろう、不安だったろう。ベッドから立ち上がろうとして、落ちて立ち上がれず、そのまま、畳に横になっていたことがあった。辛かったろう、悲しかったろう。畳は、滑りやすいので私が注意して対策を講じていなければいけなかったのに!

あの畳に横になったままの姿を思いだすと、今でも、胸がつまり、せつなくなる。何がいけないって、さびしがらせただろうことが一番「悪」だったと思う。「墓に布団は着せられない」と言うが、亡くなってからでは遅かったのだ。もっと、ぴったりそばにいれば良かった。それが一番の親孝行だっただろうに。

私が、こうして恥をさらして「いけない介護」を書いたのには、もう一つ訳がある。

今、介護の真最中の皆さんに「この人と比べれば自分はなんてえらいんでしょう」と思って、ご自分をほめていただきたいと言う応援のメッセージを送りたかったのです。

最後に、がさつなお世話にもかかわらず穏やかに息を引き取った義母・義父に感謝。合掌

    (宮澤 よし子)

認知症の高齢者への具体的な接し方

見当識障害

ポイント:同じ立場になり、不安を取り除く。

「今日は何日」というのは、何日かを知りたいというよりも、今がいつで、ここがどこなのかが不安だということの裏返しなことがあります。だから、何回も繰り返して聞くのです。

その時に、つっけんどんな受け答えをすると悲しい思いをさせてしまいます。かと言って、心に余裕がないこともあります。だから、決まったところに大きな日めくりのカレンダーをかけておいてもいいのではないでしょうか。で、「ああ、今日は○日なのね」と一緒に納得してみましょう。

         (エーザイ株式会社、ファイザー株式会社の冊子より転載しました)

  (伊東 波津子)

 

 

賛助金のご協力をお願いします

ぶどうの会では会費という形をとらず、賛助金として皆様にご協力をいただいております。

年に一度、会報4月号に振込用紙を同封させていただきます。一口、千円です。ご賛同の方は、どうぞよろしくお願いいたします。

なお、ご協力者のお名前や会計報告は会報に掲載させていただきます。

編集後記

パソコンをしながら、何度も何度も居眠りをしました。あとでお医者様からいただいた花粉症と風邪の薬の説明書を読んだら、アルコールと併用は眠気を強めると書いてありました。味噌汁がわりのあのワインがいけませんでした。「気をつけよう 薬と酒の 飲み合わせ」

(宮澤 よし子)